ほろほろと山吹ちるか滝の音 芭蕉
おはようございます。ヨロンです。
今日は春分の日なんですね。貧乏暇なしの実質的個人事業主にとって、こういった祝日はなかなか休めません。特に今年は選挙があるので。
「春分の日」というのは「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」ということが法律で定められています。昼と夜の長さが同じなのは習いましたが、実際は昼のほうが若干長いようです。とりあえず、いつもよりは自然について意識するようにします。
いよいよ統一地方選挙が始まります。今日告示になるのは11道府県での知事選挙。明日はいくつか見どころを解説します。
今後の予定は次のとおり。
3月24日(日):政令市長選 告示
3月29日(金):道府県議選、政令市議選 告示
4月7日(日):前半投票
4月9日(火):衆院補選 告示
4月14日(日):市区長選、市区議選 告示
4月16日(火):町村長選、町村議選 告示
4月21日(日):後半・衆院補選 投票
統一地方選挙を情報として知るためには、NHKの特設サイトをお勧めします。速報性では一番。
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/touitsu/2019/
速報性ではNHKに敵わないけど、見どころも含めて総合情報サイトとして使えるのは、私が顧問を務める日本最大の選挙情報サイト「選挙ドットコム」です。
https://go2senkyo.com/senkyo2019/
昨日は、毎月行っているネットライブ番組「秘密の選挙サロン」がありました。政治学者の逢坂巌さんをMCとして、選挙プランナーの松田馨君、そしておなじみの内閣府企画官の木村敬さんが、ゲストを呼んで選挙についてあれこれ話す番組です。
もともと、みんなで選挙についてあれこれ話しながら呑もうということになり、「じゃあ、ついでに何か配信しながらやろう」として始めたのが、このライブ番組です。昨夜のゲストは社会学者の西田亮介さんでした。ちょうど昨日朝の「羽鳥慎一のモーニングショー」にコメンテーターで出ていたので、見られた方もいるかもしれません。
ふたりの対談は比較的安定して配信できるのですが、4人ともなるとなかなか設定が難しく、しかもみんなギリギリに来るのでほとんどぶっつけ本番。カメラアングルなんて、配信しながら調整するというドタバタ。
私は配信担当なのでほとんど出ないのですが、昨夜は最後のところでちょっと出ました。
YouTubeにアーカイブを置いてあるので、興味のある方は御覧ください。途中、画像を表示させるときにスマホの操作が入ってしまう、といった放送事故がちょいちょい入っています(苦笑)
https://youtu.be/Zg4UQ8_uiTc
水島二圭先生のコラムです。一昨日の『決起集会』でも少し話していただいた商業作品の制作依頼について。
実際に説明されると「なるほど」と納得しますが、書のような芸術性の高い作品も、商業作品となるとさまざまな制約や事情によって、作家の思うような作品にはならないことがあるのですね。
これからは、目にする書について、今までとは少し違う見方ができるような気がします。
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一芸百芸11 ~北斎の志を持って~
水島二圭(書家)
看板文字や商品ラベルなどの商業作品の制作依頼は、基本的に「自分が登録しているデザイン事務所を通して」、あるいは「個人的なルートを通じて」という二つのケースがあります。
私は小さいながらも「筆文字工房二圭庵」という個人事務所を持っており、そのホームページから制作依頼を受けることが多いのですが、大半の商業作家の方はデザイン事務所を通しての仕事が多いのではないかと思います。
そして、デザイン事務所を通す場合は「発注者が作家を指定して制作を依頼する場合」と「作家を指定せずコンペ形式で作品を決定する場合」の二つのケースに分かれます。
「作家指定」の場合は、発注者が既にその作家の作風や過去の作品を知って発注するわけですから、作家としては大変有難いことですし、やりやすい仕事だと言えます。
逆に「コンペ形式」の場合は基本的に匿名で作品本位で競うわけですから、大変シビアな争いになります。
日展に入選するような書家であっても、素人同然の作家と同列に扱われ、その作品が簡単にふるい落とされることも日常茶飯の、正に下剋上の世界です。
私も、いくつかのデザイン事務所に登録させてもらいながら、多くのコンペで戦い、時には大きな仕事をいただき、また時には悔しい敗北を経験してきました。
自分が敗れたコンペで勝ち残った作品を見て、「このクライアントは一体どこに目を付けているのか」「この字のどこがいいんだ」というような憤りを感じたことも一度や二度ではありません。
そんな経験を振り返りながら、商業作品の制作について述べてみたいと思います。
「作家指定」の仕事であれ、「コンペ形式」の仕事であれ、商業作品においては、クライアントさんは「このようなイメージの作品を書いて欲しい」という意図をもって注文してくることがほとんどです。
純然たる書道作品の揮毫依頼、たとえば「色紙に〇〇という字を書いて欲しい」とか「短冊に自作の俳句を書いて欲しい」というような場合は、こちらの裁量で書体書風を決めて揮毫することができますので、それほど苦労はないのですが、商業作品の場合は最終的には「目立って何ぼ」「売れて何ぼ」の世界ですから、クライアントさんの意向が強く入り込んできます。「この文字は大きく、この文字は小さく」とか「このスペースにイラストが入るのでそれを配慮して」などの要望に応えながら作品作りをしなければなりません。
私は長年にわたってのそれなりの制作経験がありますので、大抵の要望には応えられると思っているのですが、中には厄介なケースもあります。
特に「クライアントさんの意図が読めない場合」と「クライアントさんの意図を読み違えてしまう場合」はいろいろな苦労が待ち構えています。
文字の大小や文字の配置に関する要望ならば、技術的な問題ですので左程難しくはないのですが、「女性向けであることを配慮して」とか「昭和の雰囲気を出して」というような漠然とした要望を出されても、クライアントさんが具体的にどのようなイメージを抱いているのかわかりませんし、こちらが想像したイメージとクライアントさんが抱いていたイメージが大きくかけ離れている場合も多々あります。
クライアントさんの意図が掴めない場合は、そのクライアントさんの業務内容や商品に関する情報をできる限り収集して、それを参考にしながら書体や書風、割り付けを考え、試作品を提示ながら納得頂けるまで書き直します。お店の看板の場合は、なるべく現地まで足を運んで周囲の造作物も見て、そのバランスも考えながら作品の仕様を考えます。
商業作品にはそういった苦労も伴いますので、時には「割に合わない」と思うこともあります。
また、よくあるケースなのですが、試作品を見ている間にクライアントさんの書に対する意識がガラッと変わることがあります。
最近も、「墓石の文言を楷書体で」という注文をいただいたのですが、なかなか決まらず、半ば気まぐれに隷書の作品をお見せしたところ、「隷書っていいですねえ、隷書体でいろいろ書いてみてください」ということになり、結果的にモダンなタッチの隷書体に決まったことがありました。
墓石完成後、依頼主の方から「書というものがこんなに広く、奥深いものだと知らなかった。大変良い勉強をさせていただきました」という感謝のお言葉をいただき、私も作家冥利に尽きる思いがいたしました。
ともあれ、商業作品の制作にはいろいろな苦労がつきものなのですが、そして、大半は作家名を記すことのない「書き人知らず」の作品なのですが、できあがった作品は展覧会作品とは比べるべくもない多くの人たちの目にさらされます。
ですから、実は商業作品のほうが展覧会の作品よりも―たとえ、それが大きな展覧会で入賞した作品であったとしても、それよりはるかに―人々に与える影響は多大なものがあると言えます。
書家の方々は商業作品に対して「そんなものは書家ではなく、筆文字デザイナーに勝手にやらせておけばいい」と見捨てているのかもしれませんが、そのような不作為こそが書道文化の裾野を狭め、かつ、文化の頽廃を生んでしまうのではないかと危惧されてなりません。
挿絵師として庶民に娯楽を与えるエンターテイメント作家でもあった葛飾北斎を持ち出すまでもなく、真の芸術家はその時代その時代を代表する商業作家であり、流行作家でもありました。
彼らの作品には「流行の中にありながら単なる流行に終わらせない力」があったということであり、その力こそが真の伝統というべきものなのだと私は確信しております。
不遜の誹りを免れないかもしれませんが、私は、「能力に彼我の差はあれ、志は北斎と共にある」という自負を持って、これからも商業作品の制作に心血を注いでいきたいと思っております。
一作献上
「ほろほろと 山吹ちるか 滝の音」 松尾芭蕉
(「世界中の言語の中で日本語ほど擬声語・擬態語が豊富な言語はない」と言われます。山吹の花の散る情景が「ほろほろと」のたった一語で瞬時に読み手に了解されるというのは、外国の方にはなかなか理解できないかもしれません。先日亡くなったドナルド・キーンさんのような方は別ですが…)
https://seironsuigei.jp/mizushima_gallery/