2019年7月29日号。<戸隠からニューヨークへ:高野登>

 おはようございます。ヨロンです。

 昨日は、自分の中で韓国の話とキレる犯罪者の話、そして等身大ホログラムの話が繋がっていると感じたのですが、まとめきれずにお送りしてしまいました。
 それぞれ、もう少し深く考えるべきものなので、今後も機会を見つけて取り上げていきます。

 高野登さんのコラム。前回の「ローワー・イーストサイド」でアパートを借りたあとの話も気になっているのですが、今回は時間をさかのぼり、アメリカのホテルで働くことになるきっかけと、それ以前の子どもの頃の話となります。いわば高野さんの原点。
 今や全国を駆け回って、講演、社内教育やホテルの立ち上げなど、忙しく動いている高野さんは、毎日ものすごい数の人たちと会っています。ホテルマンとしての日々も、新たな人との出会いの連続だったことでしょう。そんな高野さんが子どもの頃は人見知りだったというのは意外でした。
 しかし、ところどころ「スイッチが入った」というのはわかります。思いつきとか気まぐれのようなものではなく、本当にスイッチが入るように気持ちのどこかが押されるような感じ。高野さんの感覚とは異なるかもしれないけれど、私も何度かありました。
 スイッチが入れば必ず成功するというものではなく、そこから努力の日々が始まるのですが、スイッチが入ったことで運も寄ってきてくれるような気がします。
 さて、高野さんはどうだったのでしょう。その後のホテル業界での活躍を見ると強運も引き寄せてきたわけですが、どうやって運を見方につけたのか。

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 みなさん、こんにちは。ボクの呟きみたいな記事を読んで下さり、ほんとうに有難うございます。ある方から、「そもそも、どうしてNYに行くことになったのですか」とのコメントを頂きました。そこで今回は、戸隠の山猿がどういう経緯でNYに行って働くことになったのか、そのあたりを簡単に書いてみようと思います。といっても少し長目なので「だ、である」調で書かせて頂きます。お時間のある時にお目通し頂けましたら嬉しいです。

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【戸隠からニューヨークへ】

高野登(人とホスピタリティ研究所 代表)

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