おはようございます。ヨロンです。
阪神・淡路大震災から25年を迎えた朝です。当事者となった方々には深い想いがあることでしょう。
<震災から丸25年 午前5時46分に祈りささげる>
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202001/0013040108.shtml
<まぶたを閉じれば、在りし日の面影が浮かぶ。6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日午前5時46分で発生から丸25年となった。追悼行事が催される神戸・三宮の東遊園地では、竹灯籠などに揺らめくロウソクの火で「きざむ 1・17」がかたどられた。集まった遺族や被災者らは祈りをささげ、亡き人をしのんだ。>
あの日、私は長野にいて、会社のテレビで映像を見ていました。最初は「ああ、地震があったのね」というくらいの軽い感じだったのですが、徐々に「これは酷いのではないか」となって、だいぶ経ってから大変な被害であったことを知りました。
3年前に神戸に行ったときはそれほど感じなかったものの、傷跡は大きく、経済や街の再生もまだ半ばのところもあるようですね。
<阪神・淡路大震災から25年 被災地GDP伸び悩み、震災後生まれ2割超に>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200116-00000021-kobenext-soci
<6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から25年となる。被災12市の震災後に生まれた人の割合が2割を超え、兵庫県内で唯一残った神戸・新長田の再開発事業も完了の見通しが立った。>
当時、インターネットはまだ一部の人のもので、携帯電話が一般に普及する前だったので、情報はマスコミを通して受け取るしかありませんでした。東北の震災のときは、Twitterが活躍しました。これから予想されている南海トラフ、東海、東京直下などの地震や台風などの自然災害では、個人の映像データが状況把握に役立ち、連絡網としてのインターネットがインフラになります。防災用品とともに、情報ツールの見直しもこのタイミングで行っておきたいと思います。
このとき、田中康夫さんが被災地を50ccのバイク(ですよね)でまわり、その時のスナップ写真が2000年の長野知事選でのポスターに採用されました。わざわざスタジオで選挙用に写真を撮ったのですが、選挙ボランティアたちがどうしてもこの写真を使って欲しいとお願いして、ギリギリでの差し替えとなったことを覚えています。
笑顔ではなく、どちらかというと厳しい表情なのですが、カメラ目線で笑顔を向けている写真よりも、本人の意思を感じる写真になっていたことから、異例とも言えるスナップ写真の採用となりました。
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