2020年9月7日号。<『心に沁みる掲示板のことば』第12回 「自分」と掲示板のことば:江田智昭>

<『心に沁みる掲示板のことば』第12回 「自分」と掲示板のことば:江田智昭>

 おはようございます。ヨロンです。

 台風10号は九州地方中心にして広大な範囲に大雨をもたらし、日本を抜けていきます。それでも明後日に向けてまだまだ警戒が必要のようです。
<四国から関東 滝のような雨も 土砂災害などに警戒を>
https://news.yahoo.co.jp/articles/23dc01855c37b5ad3af05115d0abf307849ced06
<台風10号はけさ(7日)にかけて九州北部に最接近し、今後は日本付近から離れていきます。ただ大気の状態は非常に不安定です。台風の直接の影響を受けない四国から関東でも、滝のような非常に激しい雨の降る所も。土砂災害などに警戒が必要です。>

 昨日、東京は降ったり止んだりの一日となりました。
 東京駅で、先日紹介した「全国良品こだわりマルシェ」に行き、DJI Osmo Pocket という小型のカメラで撮影したので、軽く編集して公開します。
 そのあと、歩いていかれるところで、小松美羽さんの個展が開かれていたので、立ち寄って作品を観てきました。無料で立ち寄って見られる感じの気軽な個展で、写真も撮り放題というものです。
 先日、「美と狂気」と表現しましたが、実際に作品を前にすると、怖ろしさはあるものの、華やかな色使いと刺繍のような立体感、そしてコミカルな表情も感じられます。すっかり絵の魅力に飲み込まれてしまいました。
 広島でも展示されているので、お近くの方はぜひ行ってみてください。

 こちらで小松美羽さんの絵画パフォーマンスが観られます。
小松美羽_ライブペイントin日本橋三越本店
https://www.youtube.com/watch?v=7E-GvqVgyL4


 今週の動き。自民党の総裁選は明日告示となります。そして立憲民主と国民民主の合流新党の代表と党名選挙が10日に行われます。
 どちらも結果はわかっているので、面白みはありません。それでも、このタイミングに党を露出し政策を訴えることができるため、それぞれ「絶好のチャンス」だと考えているのです。

 実際、マスコミと地方を巻き込んで行う自民党総裁選は、効果がある程度は出てくると思いますが、野党はアピールするすべもなく、気がついたら同じ政党と同じ代表のままだった、ということになります。これでますます支持率に差がつくため、その後の解散・総選挙の確率が高まることになります。

 これからは、あまりつまらない話を続けていても将来は明るくならないので、なるべく未来に繋がる話題を見つけていきます。


 今日の江田さんの連載についてひとつお断りがあります。
瑞巌和尚のエピソードの原文で、「■」が3箇所出てきますが、これはメールで表示できる漢字ではなかったために、このようになってしまっています。
バックナンバーでは表示させておくので、そちらをご覧ください。本日はログインしなくても読めるようにしておきます。

 最近、「自分」とその生き方を考えることが多く、非常にタイムリーでした。「自分さがし」を批判していた勝谷さんは、どんな気持ちで読んだでしょうか。

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心に沁みる掲示板のことば
第12回 「自分」と掲示板のことば

江田智昭(僧侶)



 9月に入っても大変暑い日が続いています。先日、大阪の某テレビ局のお昼の情報番組の企画で京都のお寺の掲示板巡りをしてきました。2週にわたって放映される特集のため、朝から夕方にかけての丸一日ロケとなったわけですが、当日の京都の最高気温は37度。京都特有の蒸し暑さの中、僧衣を着ての野外ロケだったため、あまりにも汗をかきすぎて、1日で1.5キロほど痩せました。この過酷なロケの模様は9月下旬~10月上旬に放映されますので、次の回で放映番組・放映日をお伝えさせていただきます。

■掲示板のことば
おのれこそはおのれの主、おのれこそはおのれの頼りである。だから、なによりもまずおのれを抑えなければならない。(『法句経』

 12回目を迎えた今回のテーマは「自分」です。いままでに何度か書かせて頂きましたが、仏教では他人ではなく、自分の在り方が大きなテーマとなります。ですから、この『法句経』のことばのように何よりもまず自分で自分をコントロールすることについて考えなければなりません。そして、自分こそが自分の主であり、自分の人生の主人公はあくまで自分なのです。このことも忘れてはなりません。
 ちなみにこの「主人公」という言葉は仏教に由来している言葉だと言われています。これは禅の言葉であり、「自分の中にいる本当の自分」、つまり「本来の自己」という意味を含んでいます。「主人公」という言葉は以下の『無門関』の瑞巌和尚のエピソードに由来しているようです。

(原文)瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。及ち云く「惺惺着や、喏。他時異日、人の瞞を受くること莫れ、喏喏」(『無門関』第十二則)
(意味)瑞巌和尚は、毎日自分に向かって「主人公」と呼びかけ、それに対して自分で「ハイ」と返事をしていました。「はっきりと目を醒ましているか」「はい」「今後人に騙されてはいけないよ」「はい、はい」と毎日ひとり言をいっておられたのです。

 瑞巌和尚がなぜ毎日このようなことを繰り返し行っていたかというと、本当の自分を見失わないために行っていたようです。しかし、本当の自分とは一体何なのでしょうか?

■「自分」とは一体何か?
 誰しも若い頃に一度は「本当の自分とは何だろうか?」と悩むことがあったのではないかと思います。一時期「自分探し」という言葉が流行りましたね。私と同じ世代のサッカーの中田英寿選手も引退をした際にそのようなことを言って、旅人として旅に出られましたが、旅の中で果たして彼は本当の自分を見つけだすことができたのでしょうか?
 「自分」というテーマで語るときに欠かせないエピソードが『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』というお経の中にあります。それは、鬼同士のケンカの仲裁をさせられる旅人のお話です。

 旅人は鬼同士が死骸の所有を巡って揉めている状況に出くわしてしまい、仲裁を頼まれるのですが、当然のことながらうまく仲裁できず、前の鬼が大いに怒って、その旅人の手をもぎ取ります。後の鬼も怒り、旅人の手を抜き、足を取り、胴を取り去り、とうとう頭まで抜き取ります。前の鬼はそれを見て、そこにあった死骸の手、足、胴、頭を次々に取って旅人の身体に補い、とうとう旅人の身体は手も足も胴も頭も見知らぬ死体のものになってしまいました。いったい自分は自分なのか自分ではないのか、全く分からなくなった旅人はお寺に立ち寄り、「自分はいったい何者なのだ」と僧侶に尋ねました。(『雑宝蔵経』)

 結局、自分は何者でもない(自分には実体がない)ことを悟ったというのが話の最後につくオチなのですが、これは仏教的な真理を表しています。つまり、自分という存在はそもそも実体がなく、様々な関係性(縁起)の中でただ生じているだけなのです。しかし、実体がないにもかかわらず、わたしたちは「自分」という存在を脳内で勝手に肥大化させることによって、思い通りにならないこと(苦しみ)を増やしていきます。お釈迦様は『法句経』の中で以下のようにもおっしゃっています。

 愚かな人は、「私には息子がいる」「私には財産がある」などといってそれで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。ましてやどうして、息子が自分のものであろうか。財産が自分のものであったりしようか。(『法句経』)

 このようにお釈迦様は「自分」や「自分のもの」に執着するひとを「愚かな人」と呼んでいます。しかし、たとえ愚かと言われても、わたしたちはこの愚かさからどうしても抜け出すことができず、それらに執着してしまいます。みうらじゅんさんは「自分という存在には実体がない」ということを踏まえた上で、著書『マイ仏教』の中で「自分探し」ではなく、「自分なくし」を提唱しましたが、これは実にうまい表現です。「自分なくし」こそが人生の無駄な苦しみを減らすうえで大切なことであり、仏教的なスタンスであるともいえます。

■「自分なくし」によって見えてくるもの
 私が早稲田大学の大学院に通っていた時の研究室の先輩でもある天台宗僧侶の阿純章(おか・じゅんしょう)師が著書『迷子のすすめ』(春秋社)の中で「自分」の問題に関して以下のように説かれていました。

 仏教を学ぶうちに少しずつ分かってきたのは、「自分を、自分を」と言って自分を築き上げているつもりが、実はそれが自分の中身ではなく、結局のところ自分と他人との間の城壁を築いているだけだということだ。
 競い合って自分のつくった城壁が誰よりも立派で特別かと優越感を抱いたり、実際よりもよく見せようと虚栄を張ったり、逆に自分より立派な壁を見て自信を失い劣等感や不安を抱いたりしているが、その城壁の肝心の中身はというと、実はカラッポなのである。
(・・・中略・・・)
 自分を特別にしようとするから、特別さを味わえないと自分の存在が無意味に感じられて、不安や恐怖にさらされたり、こんな自分ではダメだと自己否定したりして、自分でつくった城壁にかえって押しつぶされそうになる。なまじ城壁なんてつくるものだから窮屈な思いをするのだ。
 そんなちっぽけな城壁に依存して引きこもっているのではなく、思い切って城壁を取っ払ってみたらどうだろう。そうしたら、あらゆるものすべてがそのまま自分とつながっていることが実感できるのではないだろうか。

 みなさんもぜひ「自分」に問いかけてみて欲しいのですが、ここで説かれている城壁を築くことに普段から懸命になってはいませんか?本当の自分はそもそもカラッポであることを自覚して、周囲とのつながり(縁起)を感じながら生きていきたいものです。

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