2020年9月23日号。<山口達也さん再び。勝谷はなんと言うか / 史上最低の野党第一党党首は誰か? 第6話 重光葵:倉山満>

<山口達也さん再び。勝谷はなんと言うか / 史上最低の野党第一党党首は誰か? 第6話 重光葵:倉山満>


 おはようございます。ヨロンです。
 台風12号が関東に接近し、昨年の悪夢が蘇ります。迎え撃つ準備は万全に。

 元TOKIO山口達也さんの酒気帯び運転事故は、酩酊状態であったこともわかり、依存症の怖さを再度突きつけられました。
<元TOKIOの山口達也容疑者を逮捕 酒気帯び運転の疑い>
https://news.yahoo.co.jp/articles/feb218e7ae197ec21c1a151310fdbde9f88ed137

 山口さんで思い出すのは、2018年4月27日号の勝谷さんの記述。
<2018年4月27日号。<山口達也さんは典型的な依存症。医師ならだれでもわかるはず。けれども、大人の都合なのかな>。>
https://seironsuigei.jp/2018/04/27/5559/
<芸能記者たちはそうだし、まあ、本質からいってそれはありかなと思うのは、医者もコメンテイターとして呼ばれていた。けれども、この「事件」について、日本国でもっともリアルなコメントができるのは私であろう。なぜなら、私は「アルコール依存症」であったからだ。早く言えばアル中。>
<肝機能障害もあったかも知れないが、明らかにアルコール中毒の「断酒」のための入院だと私は考える。アル中について、大マスコミはよくわかっていない。「酔って暴れる」などというのは酒乱の段階だ。そこから先は、あらゆる方法でアルコールを摂取しようとする。たとえは、酒を絶たせようと、山口達也さんのように周囲が入院させると、なんとか酒を手に入れようとする。病院の売店などには手がまわっていて「ダメですよ」と言われる。>

 このころ、勝谷さんも朝から自宅で飲み続ける状態。翌月には鹿児島~奄美大島の「洋上血気酒会」イベントを決行して、なんとか外に引っ張り出したものの、その3ヶ月後には入院となりましたね。

 身近な依存症患者を見て、多くの専門家からのメールもいただき、吾妻ひでお『失踪日記』『失踪日記2アル中病棟』、まんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』などを繰り返し読んできた私の結論を言うと、アル中が酒をやめられるのは、本人が死を覚悟して、抗酒剤を飲まなくても身体がアルコールを拒否したとき。そしてアル中が治ったかどうかわかるのは、死んだとき。アルコールを断って10年後に、たった一口含んだだけで再発してしまった例もあるそうです。

 仮に山口さんを施設に入れたとしても、断酒できるのは一時的かもしれない。おそらく、今後も彼は酒をやめることはできないでしょう。それでも、なんとか事故を起こさずに、死と向かい合って断酒してほしい。
 勝谷さんだったらなんと言うでしょうか。


 昨日は、国立で撮影の仕事があり、そのあと高尾にある政治学者の逢坂巌さんの家に伺いました。
 木村敬さんが逢坂さんと飲むということで話したいこともあり、行ってきました。
 高尾は八王子の隣。東京のはずれになります。重い荷物抱えてわざわざそこまで行ったのは、逢坂さんがこのところ鬱と戦っていて、私も最近欝気味だったことがありました。症状を話していると、まさに鬱。「やべえ」と思ってもどうにもならないんですよね。

 木村さんにはその相談もあり、熊本県副知事の話はほんのわずかで、もっぱらガースー政権や官僚の動き、政局の裏話で盛り上がりました。

 他には、「選挙サロン」にも出てくれた小宮京青山学院大学准教授と逢坂さんの奥さんも加わり、バーベキューを食べながら地ビール、日本酒、焼酎と進みます。
 途中、ほんの20分ほど登場したのが、逢坂さんや木村さんの友人の河上崇陽さん。名刺交換をしたところ、「あれ?もしかしてヨロンさんですか?」と聞かれました。なんと『××な日々。』の読者だということでビックリ。こうした偶然は嬉しいし有り難いものです。そのあとはもちろん勝谷ネタ。

 木村さんの副知事就任は10月9日。落ち着いた頃に、『血気酒会in熊本』をやりましょう。木村さんに飲ませるわけにはいかないかもしれないけれど。そのあとは、逢坂さんや小宮さんの故郷の福岡か。鹿児島でやるのもいいし、先日知り合った日本講演新聞(宮崎中央新聞社)のある宮崎にも行きたい。なんとか実現しましょう。


 すっかり忘れていましたが、現在発売中の『週刊現代』の特集「11.1総選挙 全国289選挙区 当落完全予測」に私のコメントが2つ載っています。
 ひとつは茨城7区。「無敗の男」中村喜四郎に黄信号が灯るというコメント。そして新潟1区。立憲の西村智奈美が優勢に変わりないが、傷害事件を起こした石崎徹と「忖度発言」で昨年の参院選に落ちた塚田一郎が自民党の公認争いをしているので、「非情の二階方式」でふたりを戦わせることもあるかも、というものです。ちなみに、今回の肩書は「選挙ジャーナリスト」。
 中村喜四郎さんのコメントはまったく違うものになっていて、記事の確認をしたときに、「このコメントにするのであれば、中村喜四郎効果についても入れてほしい」と要望しましたが、それは叶いませんでした。
 新潟の件は言ったとおりだけど、おそらく自民党は塚田氏に公認を出すでしょうね。
 「もっと面白い選挙区のコメントしたのになあ」と思いましたが、週刊誌のコメントはいつもこんなものです。特に週刊現代や週刊ポストは、書くことを決めてから取材やコメントを取りに行くので、こうなるのです。

 逢坂邸では、菅政権の話で盛り上がりましたが、なかなか本質を見極めるのは難しい。そんなときは、歴史をたどると見えてくることがあります。
 倉山さんの解説は憲政史に基づくものですが、はたしてガースーは過去の政治家の道を辿るのか。おそらく来月にはわかる気がします

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史上最低の野党第一党党首は誰か? 第6話 重光葵

倉山満(憲政史研究者)


政界の一寸先は闇。
一番、自覚しているのが菅さんでしょうね。
今でこそ超高支持率。
でも、期待は裏切ればゼロではなく
倍のマイナスになるのが世の常。
鳩山由紀夫さんの内閣は発足時、
もっと支持率が高かったですから。

この1年間の菅さん、
ジェットコースターのような人生でしたね。
令和おじさん→座敷牢→首相

人間万事塞翁が馬ってのは
もう少しマシな気がする。(笑)

実は安倍さんに恨みはないけど、
安倍さんに辞めてもらって
良かったことがあります。

言論界の正常化。

何でもかんでも安倍反対のパヨク。
「保守は安倍さんを一切批判するな!」と
「安倍さんの悪口を言う奴の悪口」
だけのネトウヨ。

「反安倍」と「反・反安倍」
の二択に辟易していたので。

そもそも、人間の評価に
100点も0点も無いでしょう。
物事の判断基準が
安倍晋三個人に帰するのは
異常です。

長すぎた政権は多くの濁りを生みましたが、
もはや「反安倍」も「反・反安倍」も
ヤドリギを無くしているので、
ようやく話ができる。

健全な安倍批判をしたい立場からすると、
パヨクは論外だけど、
ネトウヨとも一緒にされたくなかったので。

さて、本題。
本日取り上げるのは重光葵(しげみつまもる)。
占領期には外交官であることは
首相の条件だったりしました。

敗戦処理の東久邇宮稔彦首相が50日で辞めると、
幣原喜重郎、吉田茂、
一人グズ哲を挟んで、芦田均、と短命が続き、
再び吉田茂の今度は長期政権。

グズ哲以外は全員が外相出身です。
なぜ外交官出身者が重用されるかというと、
GHQと英語で交渉できるのが大事だったからです。

そうした時代、
東久邇内閣で外相に登用されながら、
公職追放され、
追放解除されたら吉田長期政権に蹴散らされたのが
重光。

重光は、外務省入省で芦田の同期です。
要するに外務省の先輩後輩で
首相の椅子を争っていた時代ですね。

重光は当時の外交官エリートの例にもれず、
ヨーロッパを中心に勤務していました。
ただ、中国重視の姿勢から、
格落ちの中華民国駐在公使に登用されます。
当時の中華民国とは大使を交換しておらず、
日本は一等国扱いをしていませんでした。
しかし、大陸問題の重要性から、
重光が起用されました。
どれくらい重要かというと、
在任中に満洲事変が勃発するくらい。
テロで片足をうしなってしまいます。
お気の毒に。

その後は、駐ソ大使・駐英大使として、
外交官の最高峰を極めます。
当時どころか戦後のしばらく、
駐英大使が外交官の最高の格でした。
しかし、外務省全体が
戦時体制下で何もできません。

そして戦時中、東條英機内閣で外相に。
このとき、「大東亜会議」を召集、
有色人種の解放を訴えます。
そんなの、
戦局が劣勢になる前にやらんと・・・。

続く小磯国昭内閣でも留任しますが、
この時の重光には私は批判的です。
話がややこしくなるので端折りますが。

終戦内閣となった鈴木貫太郎内閣では無役で、
続く東久邇内閣で再び外相。
この時は、占領軍が
「軍政を敷く。まず円を廃止して軍票だ!」
とか
100%ポツダム宣言違反を言い出したのを阻止。
これがどこまで重光の功績かはともかく、
怒った占領軍が重光を公職追放したのは確か。
どころか、東京裁判でA級戦犯に。

重光が獄中にいる間、
日本政治は混乱だけを繰り返し、
GHQの中からニューディーラーと呼ばれる
クズが派閥抗争で負けてアメリカに帰ってから
ようやく正常化。
吉田首相が日本の講和独立を回復します。

吉田もここで辞めればいいのに、
首相の座に居座ります。
これに対し権力闘争を挑んだのが
鳩山一郎。
というより三木武吉。

当時の与党は吉田茂率いる自由党。
鳩山は公職追放が解除された後、
自由党に戻ったり、出て行ったり。
ただし、常に25人くらいの少数派でした。

野党第一党は
重光率いる改進党。だいたい100人弱。
ただし、総裁の重光派と
幹事長を渡さない三木武夫が擁する
松村謙三派が常に対立。
当時は若造の三木武夫が仕切っているけど、
三木では政権は狙えない。
そもそも党内で従う奴が少ない。
そこで総裁に担ぎ出されたのが重光です。

しかも重光派も松村派も
それぞれ10人くらいしかおらず、
党の大半はバラバラ。
内紛が絶えず、吉田倒閣なんて
空気ではありませんでした。

さらに言うと、
社会党は二派に分かれて
見苦しい争い。

第二次吉田政権って、
6年くらい続くのですが、
ちゃんとしてたのは最初の3年。
後の3年はグダグダです。
結局、もう3年続いたのは
弱すぎる野党に助けられてでした。

その間の状況を子細に。
常に台風の目なのは、
鳩山一郎。
そして参謀が三木武吉。

公職追放は解除されたけど
国会に議席を持たない武吉は、
自由党内の反吉田派を煽ります。
そしてことごとく
吉田の党運営を邪魔します。

たとえば、
党人事を吉田が決めようとすると、
若手と中堅どころが殺到して
もみあいの中で散開、とか。(笑)

業を煮やした吉田の指南役の松野鶴平が
考え出した秘策が抜き打ち解散。

ちなみに鶴平とは
頼久さんの祖父。
と言うより、私は頼三の父ですけどね。

どうでもいいですけど、
頼三が不良学生時代、
父に賄賂として届けられた骨董品を
遊ぶ金に換えようと質屋に持ち込んだら
二束三文。
息子殿が怒って
「全部、ガラクタじゃねえか」と抗議すると、
「バカヤロー、持ち込む奴が
持ち込むところに持ち込むと
大金になるんだ!」
と逆切れされたとか。
ちなみに当時の父上、政友会幹部。

それはさておき、吉田らは
自分たちだけ選挙準備をして
いきなり解散しようという策。
この卑怯な策が見事に当たり
鳩山派の大半は当選できず。

しかし、吉田自由党も議席を減らし、
466議席中の240議席。
鳩山派25名が寝返れば、
予算も法律も否決される状況です。

ちなみに重光改進党は85議席で
野党第一党。

三木は吉田に取引を持ち掛けますが、
吉田は予算を通してもらうと
約束は守らない。
怒った鳩山派(というより武吉)が
野党の出した池田通産相不信任案に同調。
とか、「何やってんだ?」の政治です。

この時の池田は酒に酔って
「不法投機で儲けた中小企業の五つや十、
 潰れたって国家の責任ではない」
と放言。
いつもなら、「おいおい」で済むところを、
吉田にムカついてた鳩山派(つまり武吉)が
意趣返しをしたので不名誉な大臣に。

こんな調子で
吉田Vs.鳩山(というより三木)の対決は
エスカレート。

ある時、
西村栄一(我らが真悟ちゃんの父)が
国防問題でねちっこく質疑。
いらだった吉田が思わず
「バカヤロー」とつぶやいたら、
マイクが拾っちゃいました。
吉田は慌てて取り消すけど、
火を大きくしたのが三木武吉。

かくして総理大臣の懲罰動議を提出。

吉田は重光派が味方してくれるからと
高をくくっていたら、
武吉が吉田派を切り崩し、動議は可決。

さらに提出された内閣不信任案に
怒った吉田は、衆議院解散。
前回選挙から半年しかたっていないのに、
再び総選挙。
鳩山ら(司令塔は武吉)は脱党。

結果、
吉田自由党199、鳩山派35、重光改進党76

社会党(左派72、右派66)を巻き込んで
「重光擁立工作」が起きるのに、
重光はこの好機に何もできず。
どころか、吉田の準与党に。
ついでに言うと、鳩山派も武吉ら8人を残し
自由党に戻る。

というか鳩山、武吉を残して戻るか!?
選挙の借金を肩代わりするという
吉田の甘言に乗ったからでした。

吉田は自由党226に改進党76を加え
かえって安定政権に。
なんでや!?
何を血迷ったか重光が
「政局安定の為に与党に協力する」
とか言い出しました。
吉田は
「協力してくれたら次の総理は君だ」
とか大嘘で釣りました。
重光、アホすぎる・・・。

当たり前ですが、
政治家がアホすぎる行動をしているときは
カネが流れています。
カネで釣られなきゃ、アホな行動もしないのが
政治家という生き物です。

しかし、ここであきらめないのが不屈の闘将
三木武吉。
折から発生した保全経済会事件、ついで造船疑獄で
吉田を追い詰めます。
最近公開されたCIA文書によると
武吉は保全経済会に積極的に金をバラ撒かせて、
吉田(自身は金に触らないので)側近や
重光らの弱みを握ったとか。

8人の小政党の武吉が、二大政党を振り回します。

こうした中で起こったのが政界再編の機運。
「吉田新党」「重光新党」
あるいは「その他新党」が有力な中、
武吉は「鳩山新党」に持っていきます。

鳩山以下自由党反主流派と8人の侍を足しても
40人強。
重光改進党の方が多いのに
強引に「鳩山総裁」を実現。

この時、武吉が
「鳩山さんの方が先輩だ。
党ができたら鳩山総裁、重光副総裁。
内閣ができたら鳩山総理、重光副総理だ」
などと強引に押し切ったことになっていますが、
そんな簡単な話ではない。
裏金にアメリカまで絡んでいたとさ。

さて、鳩山新党の日本民主党は
吉田内閣を倒します。
そして民主党と自由党が合同して
自民党が結成されます。

この間、重光は副総理外相、そして
鳩山の功績である国連加盟の際、
全権大使として出席しています。

重光は『小説吉田学校』では
極めて無能な人物として描かれているけど
あれはさすがに気の毒。
にしても優秀だったかというと、
疑問符が付きます。

今回のシリーズで問題にしたいのは、
「野党第一党が与党に協力してどうする?」
です。

さて、次回からいよいよ、
地獄の斜壊党シリーズです。
与党に協力し続けた野党第一党の物語です。

鬱だ・・・。

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