2023年8月6日号。<今、原爆投下を考える / 『招き猫の男 小説 角倉了以』「第五章 高瀬川と招き猫5」:漆嶋稔>
<今、原爆投下を考える / 『招き猫の男 小説 角倉了以』「第五章 高瀬川と招き猫5」:漆嶋稔>
おはようございます。日曜日のヨロンです。
全国の天気が荒れている中で、沖縄県糸満市の友人宅は停電が5日目を超えました。
沖縄電力は職員を最大限動員し、1800人態勢で復旧作業を行っているようですが、これからまた台風が戻ってくると、さらに復旧が遅れることが懸念されます。
<物流ストップで食品棚カラ 停電拡大 台風6号迷走で沖縄混乱>
https://www.sankei.com/article/20230805-TNC2V3AK4RIE3MJ3O634INRYJE/
<停電、断水、食料品の不足…。沖縄県内で1日以降、大きな被害をもたらした大型の台風6号が5日、再び沖縄本島に接近し、被害と混乱が広がっている。復旧しつつあった停電が再び増大した上、物流もストップし、スーパーやコンビニの食品棚はほとんど空の状態だ。県民の暮らしを直撃する〝迷走台風〟。その速度は遅く、深刻な影響が長引くことが懸念される。>
広島では平和祈念式典が行われています。
<広島 原爆投下から78年 午前8時から平和記念式典 追悼と祈り>
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230806/k10014154421000.html
<広島に原爆が投下されて6日で78年となります。広島では5月にG7サミットが開かれましたが、被爆者からは核兵器の廃絶に向けた具体的な動きにはつながらなかったという声もあがっています。被爆地・広島はきょう1日、犠牲者を追悼するとともに核兵器のない世界の実現を国内外に訴えます。>
昨年7月、式典の準備をしている広島に「若年者ものづくり競技大会」の競技員として行ってから1年。早いものです。
競技員の任期は3年なのですが、自分の専門分野とは若干異なることを実感し、3ヶ月ほどの準備期間を含めて、参加がなかなか厳しいことなどあって、1年だけで辞退させていただきました。
広島では平和記念資料館に行きました。外国人観光客の姿も多く見られ、無言で食い入るように見つめていた姿が印象的でした。現在の資料館は、見方によって「過度」と取られる表現は抑えられ、淡々と事実を並べられている印象でしたが、それでもその内容は衝撃的なものでした。
今年は広島でG7サミットが行われ、4年ぶりに先着の一般参列者席が設けられるということで、78年前の悲劇に世界が注目する機会となりました。
本来であれば、G7サミットで何らかの具体的施策が実行され、式典で希望の持てる発表がされるはずなのですが、今のところ特にサミットの成果は見られません。それでも「半歩前進」であれば良いのですが。
昨日、n_wakaさんが映画『バービー』を巡る騒動を取り上げました。
これは、『バービー』と、クリストファー・ノーラン監督が脚本を書いた『オッペンハイマー(原題:Oppenheimer)』(日本公開は未定)が同時期に公開され大ヒットしていたために、原爆には関係無い映画だった『バービー』の主人公バービーとキノコ雲をかけ合わせる類の画像がX(旧Twitter)に投稿され、それを『バービー』米国公式アカウントが好意的にリプライしたことに端を発するものでした。
すぐに『バービー』日本公式アカウントが抗議し、ワーナー・ブラザースが遺憾と謝罪を表明したために収まるかと思えたものの、『バービー』ジャパンプレミア開催時に、監督やプロデューサーが何も触れなかったために、批判がくすぶっているという状況です。
もともと『バービー』は原爆に関係無い映画なので、作品を原爆と絡めて論評するのは筋が違うのですが、それだけ繊細な問題であることは、世界に発信する必要があります。
今回の騒動で、少しは世界の原爆肯定派に熟考を促すきっかけになれば良いのですが、立場の違いによる溝は、簡単には埋まりそうもありません。
この問題に関して、デイリー新潮のこの記事が詳しく解説しています。
<日本人を「けだもの」と呼んだ大統領が原爆を投下した 原爆を「お笑いネタ」化して炎上 映画「バービー」を機に知っておくべき「歴史の真実」>
https://news.yahoo.co.jp/articles/22c4e07f81c42ee5007feb24221f8b634d427a3d?page=1
問題となるのは『オッペンハイマー』の方です。これはピューリッツァー賞を受賞した伝記『オッペンハイマー『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇』(カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン)を基に制作されました。
日本では公開予定が無いため、いまのところは現地メディアや、実際に観てきた日本人の評価をもとにするしかありません。
「オッペンハイマーは原爆や水爆否定派だったから、映画が肯定的なものになるわけはない」と考える日本人もいるようですが、それは実際の映画の内容とは異なる評価となりそうです。
これを観た日本人メディア運営者は、このようにSNSに投稿していました。
<傑出した科学者チーム4000人が3年間かけて製造した爆弾がどれほどの悲劇的な惨状を生み出すことになるのかについての科学者たちの想像力の欠如が映画では如実に描かれています。
もともとナチスドイツ攻略を目的に始まった原子爆弾の研究と製造は、爆弾の完成を待たずにドイツが陥落したことで、使う先がなくなり、その矛先が、戦争集結の見通しが依然見えない「JAPANがある」と簡単に向いてしまいます。
原爆を投下する日本の候補地12都市の中からどこに原爆を落とすかを決める会議で「京都は外そう。文化遺産が多いし、私がハネムーンに行ったとこだから」という選考委員の発言に映画を見ていた観客から笑いが起こりました。>
クリストファー・ノーラン監督は、私が最も敬愛するクリエイターの一人で、とことんリアルを追求する姿勢は憧れでもありました。
今回の作品は、原爆の製造過程での人間ドラマを描いたものですが、その結果としての歴史的な悲劇は、クリストファー・ノーランならではの表現で、世界に示さなければなりません。それが無いと、単にオッペンハイマー率いる原爆開発チームやトルーマン大統領が、「日本がなかなか降伏しないので、戦争を早めに集結させるために、仕方なく投下を決断した」という見方を肯定させることにしかならないからです。
日本への原爆投下がきっかけとなり、世界が抑止力に頼りながら、いまだに人類を滅亡させるだけの核を保持し続け、ウクライナ紛争においても核の使用が懸念される状況にあることは、紛れもない事実。原爆を保持し続けることへの否定、抑止力としての肯定。それは今後も議論が続きます。
作品が武器の開発における人間ドラマであったとしても、それが大量殺戮兵器となって、実際に虐殺が行われた以上、その悲劇までも忠実に表現することこそが、クリストファー・ノーランの追求する「リアル」であり、歴史的な必然性だったのではないかと思えてなりません。
今日、この日に、改めて日本人の立場として、今の核の世が作られることになった事情と、投下された理由、大量虐殺の事実、そしてこれからの私達の姿勢を考えるきっかけとしたいと強く感じています。
みなさんはいかがでしょうか。
それにしても、この暑さの中での式典は、毎年映像を見るだけで汗が吹き出しそうになります。もっと涼しいところでやれば良いのに、とも思いますが、この暑さを感じることも意味があるのかもしれませんね。
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『招き猫の男 小説 角倉了以』
「第五章 高瀬川と招き猫5」
漆嶋稔(翻訳家)
了以は、もっと早い段階で自分が来るべきであったと恥じた。
ふと見ると、
庄屋は奥に備え付けの棚からおもむろに紙を取り出した。
箇条書きで何やら書いてあるようだ。
「権三郎が申します通り、
私如きが了以様と談判に及んだところで、
とても歯が立たぬことは火を見るよりも明らかです。
そこで、予(あらかじ)め皆の衆と話し合い、
約束願いたいことを書いておきましたので、
どうぞお聞きください」
「拝聴いたしましょう」
「では、申し上げます。
第一に、村の田地(でんち)に舟入りを掘るのであれば、
それに伴う損失はすべて償い、
工事で失った田地の年貢も角倉家が負担すること。
第二に、田地に必要な用水は高瀬川の水を用いても異議ないこと。
第三に、この舟入りが不要になれば、もとの田地に戻すこと。
以上について、
違約の儀あらばいつでも奉行所へ訴えてよいとお約束願います」
了以は聞き終えると、
暫く目を閉じていたが、
再び目を開いたときには決然たる意志が表情に表れていた。
「よろしい。承った内容はすべてお約束申し上げます。ご安心ください」
その時、権三郎が隣の間からまたしても叫んだ。
「安心しろと言われても、
口約束では、後で知らぬ存ぜぬになるかもしれん。
そやから、庄屋どん、ここは一つ書面の差し入れを頼んでくれるか」
庄屋は権三郎の不躾(ぶしつけ)な物言いに閉口したが、
それも一理あると思ったので、
気を取り直して了以に頼んだ。
「まことに失礼とは存じますが、
権三郎の申すことにも相応の道理がございますれば、
誓約状を差し入れていただけますか」
これに対し、了以はあっさりと即諾した。
「承知しました。
それでは、今から一筆認(したた)めましょう。
おい、佐助どん、筆と紙を持ってきてくれんか」
隣の間で控えていた素庵や大番頭たちは、
事態の急展開に頭の整理が追いつかず、
目を白黒させるばかりであった。
手代の佐助も呆然としていたが、
了以から声を掛けられて我に返ると、
矢立(やたて)(筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記具)と紙を急いで用意し、
了以の目の前に置いた。
了以は紙を押し広げると、
慣れた手つきで庄屋が求めた内容を箇条書きで書き連ね、
最後に花押(かおう)を付した。
了以は書き終えた誓約状をもう一度確認した後、庄屋に手渡した。
「それでよろしゅうございますか」
庄屋は書状に花押まで伏してあるのを見て、大いに安堵した。
「有難う存じます。
正直なところ、
まさかそのままお認めいただけるとは思っておりませんでした」
「いずれも道理なれば、
ここで小賢しく談判を重ねても詰まらぬと思ったまでのこと。
わたしも還暦間近の身にて、
小さな利益を追いかけて時間を失いたくないのです。
今般の事業は角倉家だけの儲けを目指したものではございません」
「と申しますと、どのようなお考えでしょうか」
「ご存じの通り、
すでに開削した保津川や大堰川を通じ、
木材や食糧などの産物が流れ込んでいます。
今般着手予定の高瀬川は、
木屋町二条から東九条まで延ばして鴨川に合流し、
横断させます、
そして、
この竹田村を開削させていただければ、
伏見で淀川とつながります。
これにより、
今まで淀川の鳥羽で陸揚げして運んでいた産物は、
舟で大量に運べるようになります。
かくして、
京の中心には西や南から多量の物資が運ばれてきます。
例えば、
上り舟では、
米、酒、醤油、油、塩、砂糖、煙草、薬品などの商品を運びます。
下り舟に積まれるのは、
大八車、大長持、箪笥(たんす)、筆や竹皮などの産物です。
さすれば、
京の都には商家、倉庫、飯屋、宿屋など働き口が一気に増え、
町中の景気は良くなり、
品物も豊富に出回りますので、
欲しい物がこれまでよりも安く手に入ります。
したがって、
人々の懐も暖かくなることは必定(ひつじょう)です。
要するに、
皆の衆の暮らしが格段に良くなるのです。
庄屋様、権三郎様や皆々様、どうかお分かりいただきたく存じます」
庄屋は腑に落ちたような表情をしつつ、一つ分からぬことがあると問うた。
「仰せのことは、なるほど納得いたしました。
ところで、つかぬことをお伺いいたしますが、
これほど世のためになるならば、
本来、所司代なりご公儀なりの名を用い、
強制的にでも田畑を買い上げ、
仕事も急いでできましょうに、
そうなさらないのはなぜでしょうか」
了以は我が意を得たりとばかりに、声を励まして説いた。
「よくぞお聞きいただきました。
確かに、幕府の力を借りれば、
事は速やかに進むかもしれません。
ところが、
この了以は多分に天(あまの)邪(じゃ)鬼(く)な男でございます。
他人(ひと)様(さま)から命じられるのが大の苦手でして、
あれこれ言われると無性に腹が立つ性分でしてな。
古人も『己の欲せざる所、人に施すことなかれ(自分が嫌なことは、人にもするな)』
と説いておられます」
庄屋は思わず頷いた。
「おお、それは『論語』の顔(がん)淵(えん)と衛(えい)霊(れい)公(こう)の部分に出てきた孔子の言葉ですね。
『それは恕(じょ)(思いやりの心)か』というくだりは、私も好きです」
「御意。
さすがに庄屋殿はよくご存じでございますな。
されば、そのような人間が幕府という他人様の力を借りようと思うものですか。
一介の商家にすぎぬわれらなれど、
ひたすら誠意を込め、
皆様のお力添えを願うしかありません。
庄屋様、権三郎様ならびに村の衆の方々、どうか伏してお願い申し上げます」
了以は威儀を正し、頭を深々と下げた。
これを見て、素庵や大番頭以下も、
了以よりもさらに深く村人たちに平伏した。
了以らのこの振舞いを見て、
強面の権三郎や他の村人も思わず頭を下げた。
了以らが頭を上げたのを見計らい、
村人もようやく頭を上げた。
<「第五章 高瀬川と招き猫6」へ続く>