2020年7月22日号。<文書の歴史から見る日本における「公」:倉山満>

<文書の歴史から見る日本における「公」:倉山満>


 おはようございます。ヨロンです。

 実は昨日、寝坊しまして、起きたら9時をまわっていました。書くことは一日中考えているのでテーマは決まっていたのですが、ニュースを確認しながらコメントを考えると同時に書いていると10時が迫ってくる……。このプレッシャーはなかなかのものです。
 勝谷さんは、呆れるほどパソコンのトラブルで「お約束の10時に間に合うか!」とやっていましたが、こんな感じだったんだな、と思いながら書いています。

 ゲスト執筆者にお願いしている日は、少し気持ちも楽になるのですが、送られてくる媒体によっては、改行が多くなっていたり文字化けが入ったりするので、読みながら体裁を確認してから掲載しています。

 今回の倉山さんのテーマは、「公文書」から考える「公」。
 勝谷さんは、「やっぱりインターネットはアーカイブが大事だよね」と、私ともよく話していました。こうして『××な日々。』という膨大なアーカイブを資産として残して置けるのも、みなさんのおかげです。

 現政権は、都合の悪い公文書をたびたび破棄、改竄してきましたが、7年前には菅さん(“かん”ではなく“すが”)が、公文書の重要さを説いていました。
<菅官房長官、7年前に「政府があらゆる記録残すのは当然」 桜を見る会めぐり「過去のブログ」話題に>
https://www.j-cast.com/2019/11/29373991.html
<「桜を見る会」の名簿廃棄問題がくすぶる中で、菅義偉官房長官が7年前にブログなどで書いたことが、ネット上で話題になっている。
   そこでは、東日本大震災に関連して「政府があらゆる記録残すのは当然」としていたからだ。現在の発言と整合性があるのかについて、様々な意見が出ている。>

 政治家が、その時の立場で言うことをコロコロ変えるのは、別に与野党関係無いので、基本的に立場を変えない公明党と共産党の議員以外は、過去の発言をほじくり返しても意味ないのかもしれません。しかしこと公文書となると、その意味を含めて重みがまったく違ってきます。

 今日の倉山さんの「講義」は、まさにその公文書の「公」の部分について、じっくりと読みたい内容となっています。


 さて、これから墨田区の幼稚園に撮影に行ってきます。幼児と接することなどほとんど無い私が何を感じるのか、自分でも興味があります。
 そして、今日から「Go Toトラベルキャンペーン」が始まります。多少感情的な報道や国民の反応が目立ちますが、そもそも何の意図があって始めることなのか、原点に立ち返って考えてみます。


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文書の歴史から見る日本における「公」

 倉山満(憲政史研究者)

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