おはようございます。ヨロンです。
昨日は多くのメッセージをいただきました。本当にありがとうございます。
事務所スタジオの機材レイアウトを大幅に変更するために大学を休講としたこともあり、作業をしながらひとつひとつ読ませていただきましたが、途中で目が潤んでしまうくらいの暖かいメッセージばかりで感謝に耐えません。
すみません。昨日は「明日から通常モードにします」と書きましたが、今日も少し思い出話にお付き合いください。
私はよく、今メールを読んでいただいている方々のことを「筋金入りだから」と表現することがあります。
勝谷さんが全盛期だったとのは、このメール配信が始まった2007年ごろだと言えます。「さるさる日記」から突然メールマガジン(勝谷流に言うと「有料配信メール」)になったときに、2ちゃんねるでは散々叩かれましたが、それでも読者登録はどんどん増えていき、1万人近くまでいきました。
その中には、「テレビで見たから」「ラジオで聞いていたから」という理由もあれば、ラジオ番組が終わったことで「もっと勝谷の話を聞きたい」という理由で登録してくれる人も多くいました。番組が終わるとグッと読者が増えたのです。
そして、徐々にテレビへの出演が減っていきました。関東圏でほぼゼロになりましたが、関西では視聴率も取れる骨太な番組でのレギュラーが続き、『カツヤマサヒコSHOW』でピークに達しました。
関東在住の私からすると、しばしば出てくる『カツヤマサヒコSHOW』の話に興味は湧きませんでした。ありがたいことに、毎週録画してDVDを送ってきてくれる読者の方もいてくれたので、見ようと思えば見ることもできましたが、「知る人ぞ知る」的な番組であり、これを楽しめる人はかなり意識の高い勝谷ファンだけではないか、と思ったのです。
似ていると感じる番組で、NHKの『玉置浩二ショー』があります。「日本一の歌い手」であり、音楽に対する姿勢や生き方など、全てが私にとって至高の存在である玉置浩二さんがホストを務めるエンターテイメント番組です。
『カツヤマサヒコSHOW』は、ローカルテレビ局の深夜枠での制作でありながら(久保さんゴメン!)、『玉置浩二ショー』に通じるような高い完成度と内容で、一部の熱狂的なファンができていたはずです。しかし勝谷さんは、そこに依存しながら「もっとメジャーになりたい」と思っていたのではないか。関東のテレビ局をバカにしながら、実はもっと出たかったのでしょう。言葉の端々にそれが伺えました。
関東キー局は、「少し尖っているけれど、危なくない」コメンテーターを採用する流れになっていったように思えます。キレたり極論を言っているように見えて、番組の空気を読んで一線を超えない人。勝谷さんは、自分ではそれができる人間だと言っていましたが、局からすると結構うるさくて扱いにくい人物だったと思います。ひとことで言うと「面倒な奴」。
しかし、扱いやすいタレントばかりになった関東圏の番組はつまらなくなりました。やはり関西の方が勢いがあり、ギリギリのところで成立させていくところなどは、MCや制作者の力量によるもの。ヌルいものは平気でこき下ろす関西人気質もあったのでしょう。勝谷さんからしたら、こちらのほうが明らかに合っていた。
2015年、突如鬱病を発症します。文章が乱れたり、話にキレが無くなるなどの前兆はありましたが、4月末に私とT-1君とマリックスラインの岩男社長が四ツ谷の「れば屋」で呑んでいたときに「もう書けない」と電話が来てから戦いが始まりました。
何度か書きましたが、そこからはこのメールはもちろん、ニッポン放送の『ザ・ボイス』、そして『カツヤマサヒコSHOW』の現場は壮絶でした。特にテレビは表情が直接伝わってしまうので、収録やロケでの緊張度はかなり高かったでしょう。番組進行、カメラアングルから編集作業まで、かなり大変だったことと想像できます。
講演会では、話し始めてから続かなくなったり、ドタキャンしたりして主催者に迷惑もかけたようです。
そんなこともあり、読者も加速度的に減っていきました。鬱はなんとか半年ほどでほぼ回復しましたが、一度失った信頼を取り戻すのは難しく、『ザ・ボイス』はコメンテーター降板が決まりました。私もニッポン放送のスタジオに行って放送に立ち会いましたが、鬱の間の現場スタッフの気の使いようは本当に大変で、見ていて辛かった。
それでも、勝谷本人は自分が「降ろされた」ということだけに怒りを爆発させていました。こうして見ると、「自分を認めてもらえない」と思えてしまうことへの恐怖から、相手を口撃する体質があったように思えます。
鬱症状は治ったものの、メディアの仕事は激減していました。そして2017年。唯一の心の支えだった『カツヤマサヒコSHOW』の打ち切りが決定するのとほぼ同時に、兵庫県知事選挙への出馬を表明します。
彼にとっては、「故郷に錦を飾る」「ふるさとに恩返しをする」という意味もありましたが、何度か書いたように、小説家になれなかった(ならなかった)自分が、大好きな灘高校同級生に胸を晴れる唯一の「成果」だったことが、一番の理由のように見えました。
私とT-1君は、選挙への出馬を決めて高揚し、力が溢れている勝谷さんを見て、「これしか無い」と思いました。選挙に出て全盛期のパワーを取り戻し、日本中の注目を集める異色の知事として活躍する姿が浮かんだのです。
選挙が終わり、失意の勝谷誠彦は生きる希望を失い、酒浸りの生活に入っていきます。私たちは次への課題、ネットメディアや政治塾の立ち上げ、小説執筆など、あらゆる可能性を探って本人にそれとなく働きかけていきますが、どれも興味を示しませんでした。
今思うと、何か新しいものを開拓していこうという気力は失せていて、既存のメディアに取り上げられない不満が、マイナスの方向に思考を拡大させていったのではないか、と思われます。
読者は更に減り続けていき、それを毎日見ている勝谷さんは、更に酒の量が増して家に閉じこもっていきます。そんな人物をどうして既存メディアが使おうをするでしょうか。
そして昨年、2月の大阪血気酒会では、すでに気力の落ちた勝谷を晒すこととなり、来場した読者から叱責を受けます。その前月に東京麺通団で行った血気酒会も、ゲストに花田紀凱さんが来てくれたにも関わらず、途中で話ができなくなり、私や花田さんが場をつなぐということも起きました。
5月の奄美ツアーや8月の軽井沢など、なんとか外に出して元気付けようとしましたが、その都度明るく振る舞っているものの、それ以外の日々は日記に書かれていたように、部屋で昼からワインを呑んでいる状況。半蔵門のファミリーマートで、真っ昼間に安いワイン2本とスポーツ新聞を買っている姿を偶然みかけたり、近くのドイツパン屋でパンを買って自宅マンションに向かって歩いていく勝谷さんを見かけたときは、声をかけるのをためらいました。
日記の文章は、かつての切れ味が消えて同じ表現の繰り返しとなっていきました。感想メールも、ほとんどが叱咤激励からクレームや罵倒に近いものに変わっていきます。モリカケ問題でも安倍さんを擁護する姿勢の勝谷さんに「なぜそこまで安倍を庇うんだ!」という言葉を投げつけて解約する読者も何人もいました。それでも変わらなかった。
読者は加速度をつけて減っていきました。勝谷さんが入院してからは、読者数にそれほど大きな変化はありませんでしたが、それでも減少を止めることはできませんでした。
最後まで「もっと増やさなくちゃな」と言っていたので、「だったら、ちゃんと書こうよ。もっと動こうよ」という言葉が出そうになり何度も止めました。はたして、ここで彼を鼓舞すべきなのか。そして彼はそれに応えようとするのだろうか。
ここで頭に戻ります。私が「筋金入りの読者」だと言っているのは、全盛期を過ぎて、鬱になり、選挙で落ちて酒浸りの生活になっていった勝谷誠彦に付き合い続けてくれたからです。多くが見捨てていってしまった男に寄り添ってくれていた。それぞれが期待したものは異なるでしょうし、もっと緩い気持ちで付き合ってくれている方もいるでしょう。それぞれがぞれぞれの気持ちで繋がっていることが不思議であり、嬉しいのです。
そして、本人がいないのに続いているこのメール(笑)。月並みな表現ですが、もう感謝しか無いでしょう。
昨日の血気酒会では、始まる前に撮影・配信機器の大幅レイアウト変更を行ったためか、無線LANのルーターの調子が悪く、LiveShellという配信機材をつなぐと、あるところでネット接続が切れる症状が出てきました。
何度かやり直してもダメだったので、以前使っていたApple製のルーターに替えたところ、そもそも無線では接続ができない。
原因を究明している時間は無くなってしまったので、とりあえず有線でつないで配信を始めたところ、20分を過ぎたあたりで、急にネット接続の状況が悪くなり始めて、切れてしまいました。
接続をやりなおしたりしたものの、状況はなかなか改善せず、結局Facebookでなんとか最後まで配信して終りとなりました。
血気酒会では以前からトラブルが多く、それは私が毎回新しいことをしようとするのも原因なのですが、何かしようとすると、ことごとく本番中にトラブルが起きます。
楽しみにしていた方には本当に申し訳ないと思います。「だったらちゃんとやれよ」という話なのですが。
一応、今回からはライブ配信とアーカイブを別にしようと決めたところで、昨日配信したものは現在見えなくなっています。
近日中に、編集して整えたものをアップしますので、それまでお待ち下さい。
昨夜は、血気酒会後に東京麺通団に移動し、明後日行われる一周忌イベントの打ち合わせを行いました。多少ですが展示物もあります。詳細はあとで参加者にお送りしますが、それぞれの想いを持ってきていただければ、楽しい会になると思います。
今日も思い出話のようになってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございます。明日からは本当に通常モードに戻ります。
では、良い一日を。