おはようございます。ヨロンです。
今朝、関東で少し大きめの地震がありました。
<埼玉県・茨城県・群馬県・栃木県で震度4の地震 津波の心配なし>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200114-00012779-weather-soci
東京や神奈川でも一部で震度3ということでした。昨年から千葉や茨城沖での地震が続いていて、それが東京直下型地震につながるかどうかはわからないとしても、備えだけはしておきたいものです。
地震のことを考えると、なるべく酔っている状態は少なくしたほうが良いのですが、それではつまらない人生になってしまうので、泥酔しないよう気をつけるくらいにしておこう、と自分に言い聞かせています。
そう言いながら、昨夜は『無敗の男 中村喜四郎 全告白』著者の常井健一さんを激励する会が、尾崎行雄財団の高橋大輔さんと高橋とみよさんによって開かれ、私も呼んでいただきました。場所は、浅草の神谷バー。
『無敗の男』の話は、また後日ということで(まだ読み終わっていないので)、今日は「デンキブラン」の話を。
私は、ホッピーが大好きで、居酒屋に行ってホッピーがあると頼むのですが、そのような店には、たまに「デンキブラン」が置いてあり、名前の斬新さから気になっていました。
デンキブランは神谷バーの創業者、神谷伝兵衛によって、およそ百年前に作られました。名前の由来は新しさをイメージさせる言葉として「デンキ」が選ばれ、「ブラン」はブランデーのこと。当初は「電氣ブラン」と呼んでいたそうです。
神谷バー「デンキブラン」とは
http://www.kamiya-bar.com/denkibran.html
名前に「ブランデー」が入っているものの、ベースになっているブランデーの他にジン、ワイン、キュラソー、そして薬草までもがブレンドされています。あたたかみのある琥珀色でほんのりとした甘さ、とろっと舌にまとわりつくような滑らかさは、とてもアルコール度数30度だとは思えない。
通常のチェイサー(氷の入った水)も出てきますが、お勧めは生ビールをチェイサーにして、デンキブランと交互に飲むということで、昨夜はそのようにして飲みました。いきなり酔ってぶっ倒れそう。ところが、4人の会話はヒートアップしていくのですが、不思議と泥酔まではいかず、二日酔いも無いのです。
神谷バーの店内は満席。全体的に年齢層は高めですが、若い人も多く、店内には熱気が満ちていました。料理はどれも美味しく、昭和を感じながらデンキブランと料理に舌鼓を打つのは、ちょっと高級なお遊びのよう。
驚いたのはトイレで、この手の店は男女兼用の少し汚れたトイレであることが多いのですが、男女別で中が広くて清潔なんです(女子トイレはわかりません)。思わず写真を撮ってしまったほど。こういう店は大切な人と行きたくなります。もう少し空いていると良いのですが。
神谷バーで思ったのは「着物姿の観音さんが来たら見事にハマるだろうな」ということでした。いきなり昭和初期にタイムスリップしそう。
今日は、先日亡くなられた元衆議院議員の三宅雪子さんについて書いてもらいました。政治家となると、どうしても男目線で語られることが多いので、女性の目から見てどのように見えるのか聞きたかったのです。読ませていただくと、同じように思ったところもあれば、「そこかあ」と気づかせてもらった部分もありました。
三宅さんを見て感じたのは、人は誰しも、ほんのわずかの「狂い」によって心が病んでしまい、なかなか抜け出せないものだということ。明日は我が身。それは肝に銘じていようと思います。
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輝いていない日々 第26回
花房観音(小説家)
お正月からずっと腰が痛いわ、肩こりひどいわ眠いわで、心が折れています。
そして、2月、4月、6月と、続けて本が出るので目の前にゲラ(本になる前の段階の状態をプリントアウトしたもの)が積まれていて、新年早々輝いていない日々を送っています。とか言いながら、仕事があるのはありがたいことですね! と、自分に言い聞かせ中。
お正月は実家に一泊したのですが、ひたすら寝てました。いつものことですが、実家に戻ると、食事に睡眠薬を入れてあるんじゃないかと疑うほどよく眠れます。12月が何度か意識を失うぐらい忙しかったせいもあるでしょうか。なんでそんなに忙しかったかというと文芸誌の仕事が重なったからです。ということで、今月は三冊、文芸誌に小説が載ります。
☆1月21日発売「特選小説」3月号「雪の跡」。特選小説で何度か書いている和歌を題材にした短編です。舞台は谷崎潤一郎のお墓がある、京都の法然院。このシリーズは今年、まとめて本になる予定です。
☆1月22日発売「小説宝石」2月号「むかしのおんな」。「京都の食と官能」というお題を貰って書いたものです。祇園の中華料理屋が舞台で、池波正太郎のエッセイ「むかしの味」と、「鬼平犯科帳」の京都が舞台の章をからませながら、かつて愛した女と再会する話です。
☆同じく1月22日発売「小説新潮」2月号、連載「果ての海」第4回目。福井県、芦原温泉が舞台の、顔を変えて逃亡する女が主人公のサスペンスです。
☆1月15日発売「実話ナックルズ ウルトラ ストロング」に、再録ですが、実話怪談が載ります。ラブホテルが舞台の怪談です。
と、自分でもようやったわと文芸誌3本と、書き下ろし、新刊作業の疲れが正月にドっと来ましたが、まだまだ今月もこんな状態です。取材旅行にも行くし。あ、先月は週刊新潮もやってたか。
外に出る余裕はなかったのですが、なんとか時間を作って、今年初外出は、大阪市此花区の「此花 千鳥亭」にて、講談を聴きました。https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00880/
東京では講談がブームだとよく耳にしますが、この「此花 千鳥亭」は、昨年、上方の講談師たちが倉庫として使われた建物を、自分たちの手で講談が聴ける場所に作り上げたものです。
以前から興味があったのですが、今回、旭堂南龍さんが「植村直巳」、旭堂小南陵さんが「阿部定」と、どちらも惹かれる演目なので足を運びました。
南龍さんは近大卒のイケメン講談師ですが、以前、一度、ピンク落語の桂ぽんぽ娘さんのイベントで御一緒したことがあります。(当時は襲名前で、旭堂南青)その際に、「ピンク講談」を聴いて、面白いなと思ったのです。
そして「植村直巳」にも、惹かれました。
冒険家として世界を駆け巡り、最期はマッキンリーで行方不明になった植村直巳は、兵庫県豊岡市日高町出身で、うちの実家の近くです。高校も同じ豊岡高校卒で、子どもの頃から「植村直巳」は町のヒーローで、行方不明になったあとは「植村直巳冒険館」が作られました。
西田敏行主演で映画が作られた際は、学校の体育館で上映されたのが記憶にあります。当時は私はまだ、小学生でした。
そういった地元ゆかりの人が、「講談」で聴けるのかと、行かずにいられませんでした。
そして旭堂小南陵さんの「阿部定」です。好きな男と朝も昼も夜も忘れてまぐわい続け、ついには快楽の果てに男の首を絞めて殺してしまい、局部を切り取って肌身につけて逃亡した女・阿部定。
心も体もひとりの男を愛しぬいた末の猟奇事件は世を騒がせました。
当日、千鳥亭に行きました。商店街の中にある、小さな小屋ですが、綺麗です。
「植村直巳」「阿部定」を堪能し、また行きたいなと思いました。小南陵さんがおっしゃってて、なるほどと思ったんですけど、「植村直巳」も「阿部定」も、最期がはっきりしていないんですね、行方不明のまま。もしもどこかで生きていたら……と思うのは、確かに夢があります。
そうしてつかの間の娯楽を享受し、また終わりなき仕事の日々に戻るため、京都に戻りました。
三宅雪子元議員の件。
ヨロンさんからのリクエストがあったので、少しふれておきます。
ただ、政治的なことは、私は書きません。SNSでも思想信条はなるべく書かないようにしています。何故かと言うと、自分の読者には、様々な人がいます。私が政治的な主張をすることにより読者を不愉快にはしたくないし、本職は小説家なので、自身の書きたいことは小説の中に込めるようにしています。
私自身が好きだった作家をSNSで「もうこの人の本は読みたくない」と思った残念な経験があるので、自分自身はそうならないようにというのと、中途半端な知識と偏った思想に寄りかかりすぎて、デマを飛ばしている人にはなりたくないのです。
どっちみちSNS依存は、病みます。
三宅雪子元議員のtwitterを見ても、家を出ていった日の更新の多さといい、依存性を強く感じます。あと、亡くなったあとで、いろんな方が書いていたのを読みましたけど、大量にDMを送ったり、朝の8時に電話をかけてきて、一方的にまくしたてたりとか、明らかに病的です。「繊細」という言葉を使っていた人もいたけれど、もともとそういう人だったのが、国会議員ではなくなり、居場所の無さと将来の不安が、SNSというわかりやすく反応がすぐにあるツールに依存していたようにも見えます。
ただ、腰痛がひどかったのなら、身動きもとれなくて、スマホを見ることしかできなかったのだろうな、とも。
あと、改めて思ったのが、「小沢ガールズ」という言葉の、居心地の悪さ。前から思っていたけれど、なんでしょう、この「腰元」感。おそらく「小沢ガールズ」と呼ばれた人たちは、それぞれ志を持っていたのでしょうけれど、妙齢の女たちが「ガールズ」を呼ばれてしまし、みんなそこそこ見栄えも悪くなく華もあり、つまりは「女性」であることを利用されているむずむずした感触が、今回改めて「小沢ガールズ」と報道される度に沸き上がりました。ひとりの政治家ではなく、結局この人は「ガールズ」から抜けられなかったのではないかと。政治の能力と「華」は別モノだと思うけれど、悲しいかな、そういうわかりやすさが得票につながるのは確かなのです。
けれど「ガールズ」では無くなったとき、つまりは役割が終わったとき、その先、どう生きていくのか。
政治家の家に育ち、フジテレビ入社、見栄えもそこそこ良くて、「華」として小沢さんを信じて政治家になったけれど、梯子を外されて、そこでしぶとく、したたかに生きればよかったけれど……。
「女の子」ではなくなった女に、世間は厳しいです。だからどこかで、「女の子」ではなく、ひとりの人間として地に足をつけないといけないけれど、それも誰もができることじゃない。特に若い頃に華やかな世界にいた女性は、なおさら難しいなと思うことは、周りを見てもちょくちょくあります。
「したたか」という言葉は、良い意味に使われないけれど、強くしぶとく生きていくためには、「したたか」ではないと、まともに傷ついてしまう。
「小沢ガールズ」ではなくなり、政治家でもなくなり、SNSに依存し被害妄想を悪化させていくその姿は、テレビの仕事がなくなり小説も書けず、兵庫県知事選挙に出馬したものの落選し、「自分は世の中から必要とされていないのだ」と闇に引きずられ酒に依存し命を落とした勝谷さんと少し重なりました。
どちらも他人事ではないです。
ネットの世界でもリアルでも、「世の中に必要とされていない」と感じる人たちが、攻撃的になって、他人を傷つけようとしています。そういうことでしか、「生きている」ことを感じられない人は、たくさんいる。
この寒いのに、入水自殺というのは、自分を痛めつける自傷行為の延長のように思いました。
政治家つながりですが、新年に入ってから読んで面白かった本のご紹介を。
「総理の娘」(著・岩見隆夫/原書房)http://www.harashobo.co.jp/book/b368584.html
10年前に刊行された本です。
総理大臣の娘から見た父親の姿、そして「総理の娘」たちが、どのような人生を送ってきたのか。
登場するのは、
鳩山一郎の四女・山中惠子、岸信介の長女・安倍洋子、池田勇人の二女・池田紀子、福田赳夫の長女・越智和子、大平正芳の長女・森田芳子、竹下登の長女・金丸一子、宇野宗佑の長女・宇野百合子、宮澤喜一の長女ラフルアー・宮澤啓子、村山富市の二女・中原由利、橋本龍太郎の長女・井上寛子、小渕恵三の二女・小渕優子です。(敬称略)
ご存じの通り、岸信介の長女・安倍洋子さんは、安倍晋三首相、つまり現職総理大臣の母に当たります。
この本に登場する「総理の娘」たちは、父を尊敬する娘たちばかりですが(そうじゃないと、こういうインタビューをまず受けないだろうし)、その中でも、父親との距離感は人によって違い、客観的であるからこその「総理大臣の父親」の姿が、人間味があって面白い。
どうしても今は政治家って、悪目立ちする人のほうが多いのですが、思想信条は置いておいて、「人」としての面白さっていうのはあると思うので、こういう本はもっと読みたいです。
もう一冊、去年出た本です。
「東京裏23区」(著・本橋信宏/大洋図書)
http://taiyohgroup.jp/book/book-whole/nonfiction/id003759/
「全裸監督」の原作者・本橋信宏さんの新刊で、「実話ナックルズ」に連載されたものです。「事件」で歩く、東京案内といっていいでしょうか。キラキラした東京という街の闇と影が、事件で浮かび上がります。
私は昔から事件の本、ノンフィクションが好きで、中学生のときに親にねだり、「グリコ森永事件」の本を買ってもらうような娘でした。今でもノンフィクション、特に事件物が好きで、本棚にはそういう本が並んでいます。
なぜ事件が好きなのか――事件というのは過剰な欲望により、社会からはみ出した者により起こされます。過剰な欲望――私は、欲望に興味があるのです。エゴイスティックな、道徳や倫理をはみ出した、醜く、世間から非難される人の欲望に。性を描いているのも、人の欲望に興味があるからで、根本は同じなのです。
欲望というものは反社会的です。それらが自由にならないように、法律や道徳がある。けれど、それでも抑えきれないほとの過剰な欲望が巻き起こす事件を読み、人を知ることができます。
この本を読んで、「欲望の街」東京を歩いてみたくなりました。