おはようございます。ヨロンです。
勝谷入院から1年を迎え、たくさんのメールをいただいています。ありがとうございます。なかなかお返事できませんが、すべて読ませていただいています。
勝谷さんはボカしていましたが、stealth@katsuyamasahiko.jp に届いたメールは本人に自動的に転送していました。私は info に来たメールを迂闊屋Cが確認して、対応が必要なものを読むくらいだったので、ほとんど感想を見ることはありませんでした。
1年前からは、その前のものも含めてすべて読ませていただいています。さすがにあれだけ過激な内容ともなると、「そのとおり!さすが勝谷さん」というものから「てめえ、適当なこと言ってんじゃねえぞ!」というものまで、さまざまな感想がありました。
ここ2年ほどは、自虐的なネタやボヤキのようなものが多く、パソコンネタや灘高自慢ばかりが続いたこともあって、好意的なコメントはほとんどありませんでした。
それでも、以前のような鋭い切れ味の解説や膨大な知識や経験から来る見識が見えたときは、嬉しそうなコメントが届きました。
それらも含めて、勝谷誠彦の魅力だったのだと思います。ある人にとっては友人のようでもあり、ある人にとっては隣の口うるさいオヤジであるという、様々な顔を持っていました。
今年になり、改元や国際政治の変動、?国党やれいわ新選組の出現、気候変動や地震、京アニ放火事件やあおり運転など、お得意の「私に聞きに来なさい」というセリフが毎日出て来たのではないかと思えるほど、さまざまな出来事が起きています。
もういなくなってしまったことは認めなければならないのですが、「勝谷だったら、絶対に何か言いたかっただろうな」と思うようなニュースや出来事は、拾っていきたいと思っています。
私は、彼のように日常生活の中で何度も怪我したり、いきり立ったりすることはありませんが、思うことはいろいろありますし、ドジさ加減では負けていないと思うので、そんな日常もなるべく記録していきます。
これからも、情報や感想を送ってくださいね。
トーラさんもいろいろな思いを持って、この連載を続けてくれています。私よりも古くからの友人なので、それこそ本が何冊も欠けるほどのエピソードも持っていることでしょう。
『全裸監督』が大ヒット中です。まさに、トーラさんの連載の時代は、村西監督の作品が話題になっていた時代でもあります。トーラさんは、今まで何度も週報迂闊屋に村西とおる監督について書いていました。当然、実際に会って話をしたこともあったんですね。
週報迂闊屋はバックナンバー化していないので、その部分を改めて掲載しようかと思ったのですが、勝手にやっては申し訳ないので、相談してみます。
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一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。 第十九回「スウィート・メモリーズ」
東良美季(作家)
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